鏡の騎士の剣


 ある日のこと、 とある北の国の美しい湖のほとりに、一頭の毒竜がすみつきました。
 竜が湖を毒の水に変えてしまったので、人々はとても困りました。
 そこでその国の王様は、国の中で一番尊敬されていて一番信用できる賢い女に、どうやったら竜を倒すことが出来るのか相談にいきました。
 魔女はくすんだ水晶玉の中をじっとみつめて「鏡の騎士の剣だけが、竜を退治できる。それ以外の剣では竜の鱗に傷一つ付けることは出来ないだろう」とだけいいました。それ以外は、何も言いませんでした。
 竜のように、大昔から生きている強い魔法の生き物のことを知ることは、たとえ力ある魔女でもたいそう難しいことなのです。

 王様は魔女の言葉に従い、国中の騎士を広場に集めて「『鏡の騎士』という二つ名を持つ者は、名乗り出るように」といいました。
 ところが広場はしんと静まりかえったまま、名乗り出る者は一人もいません。それどころか、誰一人として『鏡の騎士』などという人物を知りませんでした。
 そこで王様は、騎士団を方々の国に派遣して「鏡の騎士」と呼ばれる騎士を捜すことにしました。
 騎士達はそれぞれ、まだ誰もあったことのない鏡の騎士宛の王様の親書を携えて、旅立っていきました。
親書には、北の国の窮地と助力を請う言葉が書いてありました。

 春が過ぎ、夏が来ました。
 派遣した騎士が一人また一人と帰ってきましたが、『鏡の騎士』を連れてきた騎士はいませんでした。
 短い夏が終わり、秋の冷たい風が吹くようになりました。
 派遣した騎士の帰りを告げる角笛の音が聞こえるたびに、人々は通りに出て迎えましたが、通りを帰ってくる騎士が一人きりなのをみてがっくりと肩を落としました。
 寒く厳しい冬がやってきて、北の国の周りを取り巻く山々を雪がすっかり覆いました。
 深く積もった雪と吹き荒れる吹雪が支配している間は、誰も山を越えることは出来ません。
 人々は春に望みを託しました。雪が溶ければ、遠い国々に派遣した騎士達も一斉に帰ってきます。そのうちの誰かは、きっと『鏡の騎士』を連れていることでしょう。
 竜が毒に変えた湖の水から立ち上る真っ黒な毒の霧は、湖のそばの豊かな森をもう半分も枯らせてしまっていました。

 春が巡ってきました。
 雪のゆるんだ山道に、馬のいななきが響きます。山向こうで春を待っていた騎士達の一斉の帰還です。
 ほうぼうの国々を廻ってきた騎士達の一団が、角笛の響くなか城門をくぐり、出発したときと同じように広場に整列しました。
 そして、王様に騎士の礼をおくると、一人が進み出て暗い声でこう言いました。
 「私と私の部下達は、遠い西の果ての国まで参りました。ですが『鏡の騎士』と呼ばれる者にはとうとう出会えませんでした」
 王様は、とてもがっかりしましたが「よい、よく帰った」と騎士の労をねぎらいました。
 東に行った騎士達も、南に行った騎士達も、誰も親書を渡す相手を見つけることが出来ませんでした。
 悲しい知らせに、王様の心はまるで湖に沸く暗い霧が立ちこめているようでした。
 王様は深い深い絶望を小さな溜息ひとつに変えてそっと吐き出すと、「よい、皆よく帰った」とだけ言いました。

 「我が王国の騎士達よ、よく聞いて欲しい」王様は言いました。
 「我々は国の外に助力を欲したが、鏡の騎士は見つからなかった。これだけ探しても見つからなかったということならば、恐らく……彼の鏡の騎士とやらは大昔の傑物であって、今はもう墓の内にあるのであろう。というのも、預言を与える魔術はとても扱い難いものであり、我々には決して成せぬ奇跡の技を知る最も賢き女といえども、今と過去を取り違えて見てしまうことも時にはあるからだ」
 王様が騎士達を責めまいとしてそう言っていることは、誰の目にも明らかでした。広場は重苦しい沈黙でいっぱいになりました。
 騎士達は自分たちのふがいなさを責め、王様は国の未来を思って嘆きました。
 …と、一人の騎士見習いが立って、沈黙を破りました。
 「……さもなくば、我らの内のいずれかが憎き竜めを滅ぼしめた時に、初めて与えられる名誉の称号なのではないでしょうか。賢き女といえども、今と未来を取り違えることも、時にはあります故に」
 きちんとした鎧も与えられていない騎士見習いの言葉に、王様は無礼を咎める事も忘れてはっと頭を上げました。
 もしそれが真実であるならどれほどよいことでしょう。いいえ、たとえそう思うことが気休めに過ぎなくても、希望を捨てて何もしないよりよほど意味があることです。
 「おのおの方、名誉ある我が北の国の騎士達よ。その者の言葉で私の心は決まった」王様は言いました。
 「剣を研ぎ、盾を磨いて明日に備えるように。日の出と共に湖へ向かい、邪悪な毒竜めを討ち果たすのだ」


 いまやすっかり竜の物となった湖には、常に毒を含む暗い霧が立ちこめていました。皆底から大きな気泡が浮き上がり破裂するたび、あたりの空気が重く淀んでいくのが分かります。
 騎士達は、ヘドロのような気持ちの悪い物が堆積した湖の畔を、静かに進んでいました。
 竜の元へ進む間はどの騎士の心にも『鏡の騎士の剣だけが、竜を退治できる』という賢い女の預言が、不吉な蛇のようにとぐろを巻いていました。
 やがて、騎士達は岸部に建つ古い灯台塔にたどり着きました。そここそが竜の塒なのでした。
 白銀の鎧に身を包んだ騎士団長がすらりと剣をさやから引き抜くと、鋼の鎧を着た騎士達とそれぞれの騎士についた騎士見習いもそれに習いました。

 預言の手助けを得られないまま、とうとう、北の国の人間と邪悪な流れ竜の戦いが始まりました。
 剣を抜き盾を構えた騎士達に、足のない胴体だけの長い体をくねらせて、竜が立ちはだかります。
 騎士達は一斉に竜にうちかかりました。竜は体をくねらせ、気味の悪い羽を開いて宙へ飛び上がり刃をかわします。そして、宙から標的を一人に定めると、ひゅっと急降下してその牙にかけようとするのでした。
 戦いは夜になっても続きました。
 騎士達は剣で百度打ち掛かり、百度盾を構えて護りました。
 長い戦いの間には剣は確かに竜の身を傷つけたはずなのに、何の傷跡も残っていないということが度々起こりました。そう、刃をものともしない固い鱗こそが、古い時代から今日までの長い間竜を護ってきた魔法の力なのでした。
 騎士達は、竜を守っている魔法の強靱さを思い知りました。やはり預言の『鏡の騎士の剣』でなければ、この意地の悪い魔法の鎧を破ることは出来ないのです。
 誰もが諦め、竜の勝利が決まりそうになったとき、突然、あのとき広場で声を上げた騎士見習いが空と地を指して何か叫びました。
 けれども、毒の霧でかすむ空には生まれて2日目の細い針のような月が浮かぶばかり、地にいたっては踏み荒らされてぬかるんだ泥に毒の水が所々たまっているだけです。空には月以外に何もなく、泥水は疲れ果てた騎士達をぼんやりと映すばかりでした。
 それでも騎士見習いは何かを早口で言うと、手にしていた剣と盾を泥の中に突き立てて、腰の左につるしていた剣の鞘を右へぐいと回しました。
 他の騎士達は彼の様子を見て、とうとう勝てぬ戦いと竜の恐怖に気が狂ったに違いないと思いました。
ところが、騎士見習いは泥に立てた剣を左手に持ち替え、そして苦労して盾を右の腕に通すとまっすぐに竜へと向かって駆け出しました。
 違う騎士を相手にしていた竜が騎士見習いの姿に気づいて、不気味な眼に今までにない程憎しみをたぎらせ、首を食いちぎろうとばかりに襲いかかります。
 その尋常ではない様子を、他の騎士達は唖然として見つめるしかありませんでした。

 竜はいったん中空へ飛び上がり一瞬の間留まると、羽を広げて勢いを付け、凄まじい早さで騎士見習いに向かって急降下しました。
 一度目の攻撃を、騎士見習いは何とか避けました。すぐに左手の剣を振るい攻撃に転じようとしましたが、慣れない腕で振るったためか剣先は竜の首を大きくそれてしいました。それどころが、振るった拍子に体勢を大きく崩してしまいました。
 竜がこの隙を逃すはずがありません。騎士見習いの足に牙をお見舞いしようと、さっと首を翻せました。
バランスを崩した上にぬかるんだ足場が邪魔をしているため、見習い騎士に避けることは不可能です。彼はとっさに盾で身を庇おうとしました。
 ところが、いつもと違って右手に盾を付けていることを忘れて、うっかり剣を握っている左手を前へ突き出してしまいました。
 そのとき、不可思議なことが起こりました。
 あれほど騎士達の刃を弾いていた固い鱗が、騎士見習いの剣に触れたとたん、まるでバターでも切るように易々と骨まで裂けてしまったのです。そしてそのままどうと倒れると、もうぴくりとも動きませんでした。

 ここまできてようやく、北の国の騎士達は、騎士見習いの奇妙な行いの意味に気がつきました。
 もし、自分たちの姿を鏡に映したら、鏡に映った自分の姿は何もかもが正反対になるでしょう。そして、騎士見習いの姿はまるでそのようでした。つまり、剣と盾を左右にも持ち替えた騎士見習いは、鏡の中から抜け出してきたように見えるのです。
 預言は、間違っていませんでした。
 彼こそが鏡の騎士であり、彼の左手にに今もしっかと握られた剣こそが、唯一竜を護る古い魔法を打ち破って竜を退治することが出来る『鏡の騎士の剣』なのでした。
 鏡の騎士を探しに行っても見つからないはずです。だって、誰もが問題の答えに気がつきさえすれば、鏡の騎士になれたのですから。
 そしてあのとき……誰もが諦めかけたあの時に、騎士見習いは細い月の光が黒い泥の水に映した自分の姿を見て、預言の本当の答えを見つけたのでした。


 竜が倒されて1年が過ぎました。
 湖は平和と元の美しさを取り戻し、湖で揚がる魚たちは毎日市場を賑わせています。
 勇気と機転を示した騎士見習いは、王様から叙勲を受けて、正式な鎧をいただく騎士になり、人々は彼を鏡の騎士と呼びました。


 長い長い年月が経って、この出来事がずっと昔の話になってしまった今でも、あの戦いの舞台となった湖の岸辺の古い灯台の壁には、鏡の騎士という称号と彼の名前が刻まれています。


おしまい